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書道となかよくしたい理由(長文)

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書は果てしなく奥深い。東洋文化の神秘。
究極のビジュアルコミュニケーション(視覚伝達)なのかも?
以前まとめた記事です。


40歳を過ぎてから書道を始めて、もうすぐ2年になる。まさに四十の手習っていうところ。もちろん独学ではない。師匠は実の妹だ。彼女の書のキャリアは実に30年以上で、もちろん師範である。付け焼き刃では真似ができないすごい技を持つ達人がせっかく身近なところにいながら、教えてもらいたいという気になるまでにはかなり時間がかかってしまった。実はおふくろの方が2、3年先行していた。もう七十に手が届くかどうかのころに、自分の娘に弟子入りしたのだ。おふくろはすこぶる元気で、とても70代には見えず、そのありあまる活動意欲を書道に向けたらしい。書を楽しみながら、娘とのコミュニケーションを図るというかしこい選択はおふくろらしいと思ったものだ。でもそのころ私自身、書道をやりたいなんて、まだこれっぽっちも思っていなかった。さて何が私をその気にさせたのかな?

きっかけは初めて中国大陸、北京に行ったこと。2年ほど前にのべ2ヶ月ほど仕事するチャンスに恵まれた。中国のある学校の教科書を現地のグラフィックデザイナーといっしょに作る仕事だ。パソコンでつくるということなので、こちらも一応Power Bookを一ヶ月レンタルしたものを持ち込んだ。中華人民共和国のパソコンデザイン事情など全く知らないし、失礼ながらこれまで知りたいと思ったこともなかった。たぶん古いシステムで苦労してるんだろうなと正直考えていた。行ってみたらこの予想は見事はずれた。逆に教えられたことの方が多かったのだ。たとえば印刷の世界に限って言えば、中国ではWINDOWSによるハイエンドDTP(データからの高精細出力)が主流だ。当然フォントはTRUE TYPEだから安い。日本では最近WINDOWS DTPの可能性がいろいろ論じられているが、あちらではとっくの昔に技術的なことはクリアしている。そして自力でベースとなるソフトを開発し、発展させてきた歴史を知ってさらにショックを受けた。デジタルデザインといえば、欧米の情報にたよりっぱなしで何の疑問も抱かず、すぐお隣の国のことも知らなかった視野の狭さを痛感した。

おそるべし、大陸文化。中国5000年の伝統は、最新のデジタル技術の世界でも活かされていたのだ。中華料理ぐらいしか連想できなかった貧相なイメージとはこの際おさらばしなければと思った。

そもそも日本のグラフィックデザイン(ビジュアルコミュニケーション)の基本は文字(漢字)と紙。このどちらもが中国で大昔生み出された事をつい忘れがちだ。源流であり、先祖。そう思うと5000年の歴史に敬意の気持ちが沸いてくると同時に、先人たちの苦労の跡をのぞいてみたいという気持ちになった。

そう、文字へのこだわり。これは他の誰にも任せられないグラフィックデザイナーの仕事のおいしい部分であるはず。最近は道具が飛躍的に進化したこともあって、気の効いたビジュアル(2Dや3Dの静止画など)をつくれる人がずいぶん増えた。でもここに文字的要素(文章、タイトル、ロゴタイプなど)が入ってくると、とたんにバランスが崩れる場合が少なくない。いっきにシロウト臭くなってしまう。つまり文字的要素への観察力や造形力が弱いのだ。グラフィックデザインをDTPということばでくくってしまって、ソフト修得がメインになりがちな現状では、文字へのこだわりなどは、二の次三の次にならざるをえない実情が残念だ。そこで各社のデジタルフォントの比較、デジタルフォントとアナログ書体(写植)の比較観察などを手として考えるかもしれない。いままでの私だったらたぶんここまでしか考えられなかっただろう。でもここは一気に文字の上流、源流までさかのぼってみる手があるゾと気づかせてくれたのが中国との生の出会いだった。

明朝体だのゴシック体だの、仕事柄、書体にはいろいろお世話になってきたが、フォント、写植、活字以前をたどれば、これは書の世界に通じることはすぐわかる。そう中国なのだ!そう考えると、NHK教育番組で昔見た書聖、王羲之(おうぎし)や顔真卿(がんしんけい)の話がかすかによみがえってきた。さらに、そもそも日本独自のひらがなやカタカナはどんな背景でできあがってきたのか?「弘法も筆のあやまり」で、だれもが知ってる空海はだれに習ってそんなに書がうまくなったのか、ほんまに上手なの?すぐれた書とはいったい何?などなど疑問がどんどん沸いてきた。そんな知識も知りたいし、なにより自分で書いてみたいという気持ちが高まってきた。

私の人生第二の書道への目覚めだ。実は小学生の時、書道塾に3年ほど通ったことはある。きっかけは、なかよしの友達が行っていたからだ。先生の手本がすべてで、お題の意味なんか知ろうともしないし、古代中国に現代でもだれもが崇める書道のご先祖がいらっしゃったなどとは知るわけもない。でも今回はちょっと違う。単に字が上手になりたいだけだったら、こんな気分にはならなかっただろう。さいわい師範が身近にいることだし、実の親兄弟であ〜だ、こ〜だと気軽に習えるのもうれしい限りだ。

複製、修正、加工なんでもありのデジタルデザイン。かたやモノクロ2値の一発勝負、アナログの極致、書道。一見正反対のこれらの世界に相通ずるものを、自分なりに感じられたらなんて思いながら、ときどき楽しく墨をすっています。
by exvisio | 2005-04-28 16:34 | 書について